文化・芸術・クリエイティブ発信 K2ブログ

甲府城
2017年03月07日 special

ワイン or JOG TRIP ☆ 甲州街道の秘密を辿る

おはようございます。ジョグライターの永田です。
山はあるけど山梨県!!高尾山に登り、小仏峠を越えて山梨へ!山深い道を激しくアップダウンしてやっとたどり着いた大月。人里に降りてくるとこうもホッとするものなんだなぁ、と身をもって体験した前回のJOG TRIP。何故こんな激しい道を家康は江戸の五街道としたのでしょう?
そんなことを考えながら今日は甲府へと向かいます。

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甲州街道最大の難関、笹子峠

大月市街
大月を出発してまずは笹子峠を越えます。駅前でのリサーチでは笹子峠の手前で一泊しろと言われました。そんなに遠いかな?少し不安になってのスタートです。

まずは正面に見える山を目指します。

下花咲宿 星野本陣跡(国重要文化)
大月を出て1キロほどの所、下花咲宿にある星野本陣跡は国重要文化財に指定されています。

笹子峠の麓
しばらくすると大月から正面に見えた山の麓に到着しました。

また登りか・・・

笹子峠
大月から10キロも走らないうちに笹子峠に入ります。大月の駅近くで宿泊するように勧められたのは何だったのだろう?

矢立の杉
樹齢1000年を超すこの木は矢立の杉といい、古くは甲斐国誌・甲斐叢記といった書に記されています。江戸時代末期の浮世絵師・葛飾北斎や二代目歌川広重にも描かれるほど有名な木です。大きさは樹高約28m、根廻り14.8m、目通幹囲9m、幹は地上約22mで山梨県内有数のものです。戦国時代、合戦に向かう武士が必勝を祈願して、この木に矢を射ったことから矢立の杉という名前が付けられたそうです。

甲州街道 笹子峠 難関
次第に山深く・・・っと言うかもうほとんど登山!いやいや、トレイルランニング!?

見ての通りなのですが、かつてはこの笹子峠が甲州街道最大の難関と言われていた通り、笹子峠は小仏峠よりも山深くとても大変でした。今も歩く限りはここが一番大変だと思います。

いざ、合戦へ!

笹子隊道
笹子隊道は昭和11年に作られました。その前は山を完全に登らないと峠を越えられなかったのでこれも相当に大変そう。僕はと言えば、クマが出る!の看板に恐れおののき、おとなしくこのトンネルをくぐることにしました。

笹子峠から見る山並み
トンネルを越えるとさらに、さらに山深くなります。確かに日の高いうちじゃないと笹子峠は危なさそうですね。


野生の藤の花がきれいに咲いていました。大月を出た時は曇っていたのですが、笹子峠を越えたあたりからすっかり晴れてきました。

笹子峠から見る集落
しばらく下ると、山間から集落が見えて来ます。集落が山間に見える風景は上野原から先何度も見てきましたが、人里にたどり着く安心感はなんとも言えないです。

パーーン!!

いきなりですが・・・

狙撃されました。(←本当か?)

いやいや、はじめての経験でとても動揺したのですが、この辺りに猟銃の人たちがいて何かと間違われたのだと思うのですが・・・

あ~、いやいやいや、僕は人ですから!!!

何とか人アピールするも全然気が付いてもらえずに、必死になってここは走り抜けました。とりあえず今も社会活動出来ているので無事だったのですが、狙撃は初めての経験でしばらく動揺してました。

合戦の予感に、ガクブルでした。(・・;))

甲州勝沼の戦い

新選組近藤勇の石像 甲州勝沼の戦い
先ほどの集落を抜けて、勝沼市街へ出る手前で、調布に続きまたもや新選組近藤勇の石像に出会いました。この銅像の近藤さんはつるんとしていてかわいらしく、あまり強そうには見えませんでした。あ、目の所が葉っぱで隠れていますね(笑

ここに近藤勇の石像があるのは戊辰戦争の舞台になったからです。

この川を挟んで官軍と幕府軍が戦ったのです。

新選組局長の近藤勇は、抗戦派と恭順派が対立する江戸城において勝海舟と会い、幕府直轄領である甲府を新政府軍に先んじて押さえるよう出陣を命じられた(一説には、江戸開城を控えた勝海舟が、暴発の恐れのある近藤らを江戸から遠ざけたとも言われる)。新選組は甲陽鎮撫隊と名を改め、近藤勇は大久保剛(後に大和)、副長の土方歳三は内藤隼人と変名して、3月1日に江戸を出発し甲州街道を甲府へ向かった。

・・・中略・・・

3月6日、山梨郡一町田中村・歌田(山梨市一町田中・歌田)において甲陽鎮撫隊と新政府軍との間で戦闘が始まった。戦況は鎮撫隊側が不利で、新政府軍からの砲撃で大砲は破壊された。のち、近藤は勝沼の柏尾坂へ後退し、抗戦を続ける。会津の援軍が虚報だとわかると、近藤、永倉新八、原田左之助らの説得も空しく、兵は逃亡した。甲陽鎮撫隊は八王子へ退却した後に解散し、江戸へ敗走した。
引用:wikipedia

さっきの狙撃手が潜んでいたらどうしよう・・・

ぶどうとワインのワンダーランド

勝沼
少し下るとぶどうの街、勝沼へ入ります。人里離れた山深い笹子峠から観光地の風景へと変わります。

勝沼のぶどう畑
勝沼に来たのは5月の半ばだったので、ぶどうはまだ青く小さい状態でした。遠目からは殆ど見えないくらいの大きさです。

勝沼のワイナリー
ぶどう畑をひたひたと走っているとワイナリー発見!!

勝沼には結構ワイナリーがあるって聞いていましたが実際に見るともうジョギングとかいいかなぁと思えて来るほどとても魅力的に感じました。

飲めるかなぁ、走ってるのに・・・

飲んじゃおうかなぁ、走ってるけど・・・

フランスにはメドックマラソンって、ワイン飲みながらフルマラソンを走るメドックマラソンという大会もあるんですよね。

っと、まぁ悩みましたが、走って汗をかいているので他のお客さんに迷惑になると思い入るのを断念しました。

「神の雫」登場ワインのリスト』というブログにワイナリーについて詳しく書かれているので、もし興味ある方がいたら是非ともこちらもご覧ください。

なんだか後ろ髪を引かれるような気持ちでワイナリーを後にします。

果物の実
ぶどうの他にも果物を沢山栽培しています。なんだろうこれは?桃かな?

勝沼は4~50分位で抜けましたが、ぶどうとワインのテーマパークの様にコンパクトに楽しそうな要素が詰まっていました。今度はワイン飲みに来たいなぁ。

甲州街道終着の地だった甲府

笛吹川
この笛吹川を越えると勝沼から、石和温泉街へと甲州街道は続きます。

ワイン飲んで温泉コースいいですね。次回は電車で来ます!!

八田家御朱印屋敷 (笛吹市・石和町)
甲府へ向かう前に少しだけ石和の街を探検しようとフラフラ走っていると、素敵な藁ぶき屋根の日本家屋を発見しました。

武田家に仕えた八田家重は蔵前衆の要職にあり、一宮町末木を拝領し末木姓を名乗るも、武田家滅亡後に徳川家へと仕えた末木政清により八田に復姓した。

天正10年(1582)、織田軍の兵火により屋敷は全焼。後に再建したが、安政6年(1859)笛吹川の氾濫洪水により崩壊。昭和15年にまたも再建し現在のかたちに。
引用:ふえふき観光ナビ

甲府城
石和からほどなくして甲府へ到着、お城は石垣のみ残っていました。ゴールを石和にして温泉は行って帰ろうか迷いましたが、甲府までがんばりました!

今日の総括

日本橋から甲府まで131キロメートル。3日で走るには長い距離ではないのですが、高尾山、小仏峠、笹子峠と次第に道が険しくなり、かなりきついJOG TRIPとなりました。

さて、家康は何故このような厳しいルートを5街道の一つに選んだのか。一説によると甲州街道の起点は日本橋ではなく半蔵門だという説があります。5街道で唯一江戸城直結のこの甲州街道には、実は軍事的な意味が込められていました。江戸有事の際の脱出ルートだったのです。そして、追手がスムーズに追えないようにあえて険しい道を選択しました。まさに、 EDO SURVIVE!!

次回はJOG TRIPをお休みして、具体的にどのような作戦を持って、そしてどのようなルートで脱出を考えていたのかをお話ししてみたいと思います。

編集後書

せっかく甲府まで来たんだし、どんな街か観光してから帰ろうと思って街を散策しました。

夜の甲府商店街
繁華街でも意外と人がいないし、お店も6時頃には結構しまっています。

ほうとう
名物のほうとうでも食べて帰ろうと思い駅前のほうとう屋さん、小作に寄りました。ほうとうってちくわぶみたいでおいしいですね。

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