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赤坂宿ではしゃぐ
2015年10月02日 そうだ!京都へ行こう

『人』こそ最高のコンテンツ、めぐりあい空(そら)

おはようございます!ジョグライターの永田です。

走らねば ブログが書けない ホトトギス
信長、秀吉、家康の性格をたとえる句によく使われますね。いよいよ戦国の三大武将ゆかりの地に近づいてきました。浜松〜豊川で距離を稼げなかった分、今日きつくなってしまいましたが、見るところはしっかり見て、走る所はしっかり走る。メリハリをつけていこうと思います。それでは名古屋までレッツゴー!!

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歴史遺産と祭りと暮らす人たち

豊川市街から20分程走ると名鉄の国府駅を通過し旧東海道へと合流します。

御油の街
足取りも軽く今の所は膝も大丈夫!この後少し名所が続き旧東海道を楽しんで走ることが出来ました。この辺は家の外観が木の格子のような作りで統一されていてノスタルジックでいい雰囲気の中走ります。

おぉ!『姫街道』。

姫街道
磐田市の旧見附学校を過ぎた辺りにも入口がありましたね!姫街道は浜名湖の北を通り、旧東海道は浜名湖の南を通りここで合流します。いやはや、なんとも壮大なジョギングプロジェクトです。
磐田市の旧見附学校のお話は是非、『初志貫徹!静岡横断ジョギングでわかったこと』をご覧ください。

音羽川
いやいや、いいなぁ~。河原でBBQかな?

ごゆばしを渡るともう少しで御油宿です。

御油の松並木
御油の松並木は1944年に国の天然記念物に指定されました。これによりこの辺りの松の木は軍需用の伐採は免れたそうです。

御油の松並木を清掃する人
ボランティアの方でしょうか?きれいに松並木を掃除していました。三保松原の時もそうでしたが、美しい景観は善意の努力のたまものなんですよね。ありがとうございます。

御油を抜けると意外とすぐに赤坂宿に到着しました。
赤坂宿と祭り人
お祭りでしょうかね?まだ午前中ですが通に人がチラホラ歩いていました。

赤坂宿と山車
色鮮やかな山車が並び祭りの準備が進められています。

まだまだ、今日も先があるので観光気分もこの辺で、しばらく距離を稼ぐために黙々と走りました。まずは岡崎城へ。

道に迷い名古屋城!?

乙川
川遊びのキャンプかな?

馬がいた!
乙川に居た馬

この乙川を渡ると大きなビルが見えてきました。そろそろ岡崎の街に入ったのかな?

国指定史跡 太平一里塚
旧東海道へ再び合流した所で太平一里塚を通り過ぎました。三島の錦田一里塚でも紹介しましたが、東海道に4つのみの国指定史跡の一里塚です。二つ目制覇しました!この際、4つコンプリートしたいです。

ジョギングの疲れというのは波のように来ます。いい景色を見ると疲れが飛んでいきますが、平坦な道を走ると退屈から意識が疲れに向いていきます。

あ~、岡崎城まだかなぁ・・・っと思っていたところで!

な!名古屋城!??

名古屋城かと思ったお城!?

ま、まじでか!?

名古屋城に似た宿泊施設
なんか近くに行ったら、宿泊施設みたいでした。にしても石垣にまでこだわりが。

実はこの辺りで道に迷ってしまうのですが、代わり映えの無い風景も辛いですが、一番こたえるのって道に迷うことなんですよね。1キロ2キロ迷うと元の場所に戻るのにもさらに1キロ2キロ走らなければならない。これが本当につらいんです。ここでは大岡越前守陣屋跡を見てみたかったのですがどうしてもたどり着けずに残念(T^T)

でも静岡の日坂のように迷った結果、偶然出会う美しい風景もあります。道に迷うこと全てが悪ではないですよね。それでもやっぱりつらいですが・・・。

いや、やっぱ絶対つらい!!

家康が生まれた岡崎城

岡崎市街
迷いに迷い、再び国道と合流。岡崎市街に入ったのでしょうか?大きな建物が増えて来ました。ただ、都市部なのに人が少ない印象を受けました。夏休みだからかな?

ここから少し走ると岡崎城門前へ到着。歩道橋に威圧感を感じます。
岡崎城と葵の家紋
この紋所が目に入らぬのか!!
はっはぁ~!!すいませぇ~ん m(__)m orz orz orz orz

岡崎城の徳川家康像
岡崎城では早速家康くんに迎えられました。そう言えばこの旅で何人目の家康くんだろう?両国にもおったぞ。

風格ある岡崎城
この岡崎城はここまでジョギングで見てきたお城には無い風格がありました。

岡崎城正面
松の木がより一層おごそかな雰囲気を作り出しているのでしょうか?

岡崎城の産湯の井戸です。
岡崎城産湯の井戸

産湯の井戸
天文11年12月26日(1542年)徳川家康公が岡崎場内で誕生した。この井戸水を汲み、産湯に使用した。

しばらくゆっくりしたかったけど、先がかなりあるので先へ進むことにします。

雲竜の松とのうれしい出会い

岡崎城を出て5分も走らないうちに八丁味噌の工場が見えて来ました!
合資会社 八丁味噌の八丁味噌工場
名古屋は味噌だギャー。
名古屋弁を話すのはニコちゃん大魔王くらいしか聞いたことない僕ですが・・・。
ニコちゃん大魔王はみなさんご存知でしょうか?

こんなノリで話してますが、この蔵は由緒正しい味噌蔵で観光地なのです。

江戸3代将軍徳川家光の時代に当たる正保年間(1645~1648)で、岡崎城から西に八丁(873m)の三河国額田郡八帖村(現在の愛知県岡崎市八帖)に創業した。(現社長は19代目の当主)この味噌蔵は、国の登録有形文化財に登録され、八丁の郷として、資料館としている味噌蔵や工場の見学ができる。(wikipediaより)

八丁蔵通り
蔵の裏の通りも八丁蔵通りと言われ観光名所のひとつです。ちなみに八丁味噌の八丁は、岡崎城から八丁(約870m)離れていたことからついたそうです。

矢作川
八丁味噌に別れを告げて矢作川を渡ります。

そして、旧東海道へ合流・・・・
矢作町を走る旧東海道
やばい、何にもない。これつまらなくってキツイやつだ!!!ふぇ~。

案の定つまらない道がしばらく続き精神的に疲れてきたころ松並木が見え来ました。
尾崎東の松並木
流石に東海道は松並木が多いのでもう驚きませんが、それでもこの風景の変化には少しホッとしました。

雲竜の松のぼり
しばらく走ると赤いのぼりが目につきました。なんだろう??雲竜の松??

雲竜の松
おぉ!立派な松の木。こんな立派な松の木は見たことが無いです。とても気になって中をのぞいてみると・・・。

永安寺のお地蔵さん
お地蔵さんたちが優しく迎えてくれます(笑
そしてお寺の奥から『おいで~、おいで~』と声が聞こえてきました。

これ多分、夜だったら凄い怖いやつだ!

中に入るとお寺の方と地元の方が集まっていてお茶を振る舞っていました。この松の木で町起こしをしようとイベント中だったようです。

ひとりの男性が話しかけて来ました。

男性「どこから来たの?」
僕「東京からです!」
男性「おぉ~、東海道か!!」

っと言って握手を求めて来ました。

実はこの男性は自転車で日本橋から4街道制覇したことがあり、今度日光街道を制覇しようとしている、と話してくれました。さらに驚きはこの方の年齢。とても70歳には見えない元気な方でびっくりしました。いくつになっても冒険者はリスペクトすべき存在なのです。

永安寺にある愛知県の天然記念物 雲竜の松の証書
お寺の名前は永安寺。先ほどの松は愛知県の天然記念物に指定されていました。

JR東海のパンフレットに掲載された見開きの雲竜の松の写真
JR東海のパンフレットの見開きに雲竜の松の写真が掲載されたと見せていただきました。写真がとても神々しいです、やはりスマホのカメラだと限界がありますね。

しばらくゆっくりして、もっといろいろお話ししていたかったのですが先があるのでとそろそろと思い、今日のゴール宮宿までは、あとどれくらいかかるか聞いてみました。

「もうすぐ4時だし30キロあるから宮は無理だろう、鳴海までは行けるかなぁ?」
「はい?30キロ・・・?」

いやいや宮宿まで絶対行かないと先が大変だ!と思いここからは距離を稼ぐためにスピードを出して走ることにしました。本質的には土地勘、距離感チンプンカンプンなところが問題なのですが。

超スピードをマスターしたよ

コンビニのとろろそば
まぁ、その前にご飯位は食べようとネバネバスタミナ注入。

知立宿の松並木
知立宿の松並木。そろそろ同じアングルも飽きてきたので歩道橋の上からパシャリ。
まぁここらで気合を入れて本気をだしましょうかね!

気合だ―!気合だ―!とアニマル浜口さんのように・・・

国道一号線に四日市の標識
距離を稼ぐために走りやすい国道を選びました。この辺りで看板についに四日市の文字が!!

それにしても走りやすい国道を直進したいのですが、陸橋とか川があるとすぐに歩行者は脇道に逸れてしまうんですよね。それで、何度道に迷ったことか・・・

でも今回はそれが幸いして、

国指定史跡阿野一里塚
東海道に4つのみの国指定史跡阿野一里塚を発見!これで3つ目。

少しがっかりしたのが、この写真のアングル左が微妙だと思いませんか?
国指定史跡がゴミ捨て場なんですよね。毎日生活する人たちには、僕のような一見では解らないいろいろな事情があるのでしょうけど、なんか由緒ある場所なのにもったいないなぁ~と思いながら通り過ぎました。

ここから国道を諦めてしばらく旧東海道を直進しました。

すると、なんと標識に見覚えのある文字が!!!
桶狭間の古戦場標識
おぉぉ!!信長の桶狭間の合戦の場所だ!!

あのランチェスターみたいなやつ・・・。
力差のある相手を狭い所に誘い込み、一か所に集めて一気に叩くという弱者の法則。

いやいや、時系列的にはこっちの方が元祖ですよね!桶狭間の戦略。

桶狭間の古戦場 織田信長と今川義元
桶狭間については、もう今更なんの説明もいらないと思いますが・・・一応。

古戦場
この地は、水禄三年(一五六〇)五月十九日今川義元が織田信長に襲われ戦死した所と伝えられ、田楽狭間と呼ばれた。今川義元 松井宗信 無名の人々の塚があり、明和八年(一七七一)七石表が建てられた。文化六年(一八○九)には桶狭間弔古碑が建立された。(立札より)

少し感動をしつつも宮宿を目指して先へ進みます。

・・・で、一体名古屋ってどこなの?なんか長いなぁ、宮ってどこだ?

そう思ってた時に嬉しい看板発見!!
名古屋市と表記された看板
おぉぉおおお!!ここもう名古屋市だったんだ!?はじめて来た名古屋!
っと感動するも、宮宿まで日が暮れる前にたどり着けるのか?

二股になってる天白川
もうそろそろ日が暮れると焦り始めたころ、天白川を渡りました。天白川は二股になっている珍しい川です。

カレーハウスCoCo壱番屋
名古屋と言えばやっぱり『カレーハウスCoCo壱番屋』。東京でもお世話になってます。あ~、おなかぺこり。この後15分程走り東海道最大の宿場宮宿へ到着しました。
今日は4時頃から日暮れまでに30キロ走りました。
・・・意外と速くないですか?知立宿の松並木でアニマル浜口ばりの『気合』を入れたのが多分良かったのでしょう。
このプロジェクトを通して体が相当鍛えられてきた感じがします。

今日の総括

浜名湖から愛知横断まで2日走りました。前半コンディションのミスがあって思うように走れなかったけど、今日の後半は驚くほど速く走れて自分でも少しびっくりしました。ただ、距離を稼ぐことに集中してしまうと、おもしろいモノ・コトを見過ごして通り過ぎてしまいます。見過ごしてしまうものの中には生涯二度と出会うことの無い感動があるかもしれません。目的達成の為にまっすぐに全速力で進んでいくと、貴重な実体験を取り逃がすリスクがある。これ実社会と同じですね。それともう一点思ったことは、やはり旅の醍醐味はその土地の人とのふれ合いまさにそれに限ります。ここまで走って来て、いろいろな風景、名物を見てきて思ったことは『人』こそ最高のコンテンツだということです。
次回は宮宿スタート、いよいよ最終決戦!

2015/08/23走行 コース:豊川~名古屋

編集後記

お風呂に入るために少し戻って『湯とぴあ宝』へ。
湯とぴあ宝
残念ながらここも天然温泉ではありませんでした。まぁ都市部はしょうがないですね。でも凄く広くて快適でした。

新幹線に乗るために、電車に乗って名古屋に移動しました。
名古屋名物味噌カツと手羽先
やっぱり味噌カツと手羽先は食べておきたいと思い駅中のお店へ入りました。
名古屋自体はじめてなのですが、本場名古屋の味噌カツを初めて食べました!

う、うみゃ~だぎゃ!!←合ってますか?

手羽先は特に好きでもないのでまぁまぁでした。

帰りはついにのぞみ登場!!
本当にずいぶん遠くまで来たもんだなぁと新幹線の中でひとり思いにふけっていました。

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