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亀山編イメージ
2015年10月05日 そうだ!京都へ行こう

兵どもが夢の跡 MADE IN JAPAN かつての聖地、亀山へ

夏草や兵どもが夢の跡
おはようございます!ジョグライターの永田です。

8月の名古屋(宮宿)ゴールから1ヶ月。痛めた膝も少しづつ回復して来ました。
日本橋から京都へのジョギングレポートもいよいよ最終章。名古屋から京都までを3日間で走ります。今日のゴールはMade In Japan かつての聖地、亀山。僕の膝は回復傾向に向かっているけれどもMade In Japanはどうなんでしょう?一路、亀山を目指します。

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神話の剣と金の鯱

名古屋駅前ロータリー
今日も新幹線で名古屋へ。実は名古屋で降りるのは始めてでした。圧迫感があるのは大きな建物が小さなロータリーを囲むように建っているからでしょうか?

まずは早速名古屋城へ。
名古屋城
あれが噂に聞く金の鯱か・・・
少し遠いな〜と思いましたが、お城は中に入るのは有料なのですよね。中へ入ろうとも思いましたが今日は諦めました。お城の周りはジョギングしている人も沢山いたので、僕も混ざってお城の周りを一周して名古屋城を後にしました。

熱田 神宮前
名古屋城を満喫した後に、前回のゴール宮宿へ向かい走ります。一ヶ月も経つと高速下の大通りがなんだか少し懐かしいです。

宮宿の前に通る熱田神宮に、旅の祈願を込めてお参りに行きました。
熱田神宮
熱田神宮は三種の神器のひとつ『草薙剣』が祀られています。三種の神器といえば『八咫鏡』『八尺瓊勾玉』『草薙剣』のことですが、かつて僕は『テレビ』『洗濯機』『冷蔵庫』のことだと思っていました(笑)。

草薙剣は天照大神の弟、須佐之男命(スサノオノミコト)が、出雲でヤマタノオロチ(大蛇)を退治した際にオロチの尾の中から見つけられました。時は流れて剣は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に受け継がれることになります。古事記のお話ですが、神話の世界はロマンがあってとても面白いです。最近では読みやすい訳本がいろいろあります。読書の秋ですし、もしご興味があれば是非読んでみてはいかがでしょうか?

熱田神宮でお賽銭
今回のJOG TRIPの成功を祈願して・・・

ゆったりと午前中を過ごしていたらいい時間になってしまいました(汗
今日は60キロ以上を走らないとならないので急いで先へ進む・・・

ではなくて・・・

急がば回れの精神でまずはお昼ごはん (^^)
吉野家で牛丼を食す
長い距離を走るので、スタミナ重視で少し重めの物を食べるようにしました。ガテン系のエネルギー補給!?これでしばらくエネルギーの心配はいらないですね。

が、しかし午前中のんびり観光を満喫してしまったことが後になって大きく響くことはこのときは思ってもみませんでした。

↑↑↑って気づけよ、おい!!

東海道唯一の海路、七里の渡し

七里の渡し
いきなり道に迷いたくは無いと不安に思っていましたが、熱田神宮から5分も走らずに宮宿へ到着しました。歩道橋の狭い視界からバッと広がる光景に少し感動しました。遠くに見える山は明日越えていく鈴鹿峠に違いない。

宮宿は桑名宿までの七里の渡しがある東海道で最も大きな宿街でした。
宮宿 七里の渡し

七里の渡しは東海道における唯一の海上路で、1601年(慶長6年)の東海道制定の際に定められた。七里の渡しの名称は、移動距離が7里であったことに由来する。渡し船によって移動し、所要時間は約4時間であった。(wikipedia)

東海道はここから陸路は無かったんだ・・・?
7里というと約28キロ、結構な距離をショートカットしていたんだなぁ。でもなんで陸路が無かったのでしょう?

とりあえず今日は、遠くに見える山の麓まで走ります。
東海道陸路
目印が見えているのはとても気持ち的に楽ですね。それにしても国道は退屈です。

ここから東海道を真っ直ぐ西へ走ります。やはり船での移動が主流だった為でしょうか?歴史的な物はあまり見当たらず、ひたすら道が真っ直ぐ続いていました。

亀の大群
あ!亀だ!!こんなに沢山いる。なんでだろう?

亀丸製麺の看板
えっ?亀!?丸亀製麺・・・
まぁ、関係ないですよね?あまりに見せ場の無い風景が続くので思わず亀に反応してしまいました(笑
それにしても近すぎww

気分転換に東海道から国道1号線へ道を変えても代わり映えの無い風景が続きます。

そして、木曽川!
木曽川
メチャメチャ大きくて水量が多い川です。

ようやく七里の渡しに『なるほど!』と思いました。
ここまでにも沢山の川がありました。もちろん木曽川はこんなに広いのだから江戸時代はおそらく橋は掛かってなかっただろうと思います。きっと陸路では先へ進めなかったか、結局途中で船に乗っていたのではないでしょうか?

そしてついに!
木曽川で三重県突入

三重県突入!!おめでとーー!!

木曽川を渡ったと思ったら、すぐに今度は長良川を渡ります。
本当に納得しました。これは江戸時代だったら七里の渡しを使わなかったら先へ進めないですね。(少し北部を迂回するコースもあったようですが、大きな川は船で渡ったようです)
宮宿から桑名宿は人が船を使って行き来するエリアだからでしょうか?文化的な史跡を見つけることは出来ずに、ただ走るだけの退屈できつい道中でした。

長良川
長良川を渡るとすぐにもう一つ大きな川、揖斐川を渡ります。本当に川ばかり。大きな3つの川を渡るとそろそろ桑名宿です。

それにしても、ここの水門は面白い形をしているなぁ〜。

黄昏の桑名宿

桑名宿へつく前に、薩摩義士墓所なるお寺を見つけました。
海蔵寺 薩摩義士墓所

海蔵寺(薩摩義士墓所)
薩摩義士とは、当地方に度々水害をもたらした木曽・揖斐・長良三大河川の治水工事による薩摩藩八十五名の犠牲者を言います。・・・中略・・・当寺には、工事終了後大幅な予算超過と多数の藩士を失った責任を負い切腹した奉行平田靱負の墓碑を中心に二四義士の墓があります。(海蔵寺立て看板より)

河川治水のプロジェクトは成功したのに、それでも切腹って・・・。
まさに読んで字のごとく『真剣勝負』。失敗は死を意味するのか!?今では考えられないですね。

七里の渡し 桑名宿
宮宿から淡々と30キロほど走り、ようやく七里の渡し西の船着き場、桑名宿に到着しました。

七里の渡し 桑名宿
桑名の船着き場は人も少なく静かでとても気持ちのいい場所でした。しばらく堤防で休んで、渡ってきた揖斐川を眺めていました。

桑名は城下町でもあり、その名残が今でも少し残っています。
七里の渡し 桑名宿 船着き場
お城の石垣に釣り船って今まで見たことの無い組み合わせです。

桑名宿を離れて、東海道を先へ進む突如現れるお坊さんの像!
顕本寺
このお寺は「顕本寺」といい、市指定文化財の水谷九左衛門光勝墓があります。水谷九左衛門光勝は本能寺の変の際、徳川家康が三河へ逃げ帰る時に案内役をしたと言われています。

宵闇迫る四日市

コースを国道へ移し先へ進むと、四日市コンビナートが見えてきます。
四日市コンビナート
四日市コンビナートは夜景がとてもきれいで有名な場所のようです。今日は夜景を見ることは出来なさそうなので残念ですが・・・

四日市
なるほど!四日市は「市」がふたつ並ぶのですね。四日市突入!それにしても車より少し速く移動出来ているのが優越感です。

あぁ、夕日がきれいだなぁ〜。
四日市

って言っている場合では無い!!

四日市を過ぎた頃にはすっかり日が暮れてしまいました(><)
浜松から名古屋を走って一ヶ月。日の入りが早くなり、18時過ぎには暗くなってしまう。時間の感覚がすっかりズレていました。

四日市のアーケード商店街
四日市の東海道は商店街の中を走ります。

商店街のアーケードを抜けると夜の国道一号線をばく進するわけですが、やはり東京と比べて街灯も少なく場所によっては真っ暗な場所もありました。東海道は石薬師宿、庄野宿と小さな宿街を2つ、距離を稼ぐために飛ばして国道を直進してひたすら走ります。

そして、21時近くにようやく亀山に到着しました。

今日の総括

宮宿を出るのがお昼過ぎと遅いスタートになってしまったのと、膝の様子を見るために走るペースも少し調整しました。その為、四日市から先を暗闇の中走る羽目に。

ハイライトは宮宿、桑名宿の両船着き場。走る前は何故ここだけ海路なんだろう?と疑問でしたが、実際に走って見て納得しました。
百聞は一見にしかず、実際体験するから判ることもあるんですよね!

2015/09/19走行 コース:名古屋~亀山

編集後書

亀山と言えば思いつくのはシャープの亀山工場。
大きな駅と賑やかなロータリーをイメージしていましたが、行って見てビックリ。超ローカルな田舎駅。お腹も空いて何か食べたいと駅前まで来てみたけど飲食店が無い(T^T)
亀山駅前

三重名物味 噌焼きうどん
味噌焼きうどんが三重の名物という情報を手に入れたので食べてみることに。
まぁまぁかな。

この後は翌日に備えてすぐに寝ました。

『山を越え、谷を越え、忍者の里にやってきた!』へ続く>>

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