文化・芸術・クリエイティブ実験室 / 上野・浅草 / WEB/IT/インバウンド
おはようございます!ジョグライターの永田です。
雨の週末みなさんいかがでしたか?僕はのんびり読書しながらジョグレポートの更新をしていました。
秋もそろそろ終盤にさしかかり、随分日没も早くなりましたね。今回は東武動物公園から宇都宮まで日光街道では一番長い距離を走った日。
観光と移動のバランスを考えながら餃子の街宇都宮を目指して行ってきました!
今日はここ東武動物公園からスタート。終点のターミナルにもなっているので賑やかな駅を想像しましたが、思ったよりもガランとしていました。
ここから日光へ向かって日光街道を北上するのですが、春日部から北はしばらく本当に何もありませんでした。今回のコースは地図を見ると上に登る感じがよけいに疲れます。東武動物公園駅からは杉戸宿、幸手宿、栗橋宿と続くのですが、事前情報が少なく見所無く、いきなり退屈でつらいマラソンコースになりました。
・・・栗橋宿を思わせるのは、通りにちょっとしたのぼりがあるくらいでした。
東海道も神奈川宿、保土ヶ谷宿、戸塚宿と都心に近い所は宿街自体には観光の見所が少なかったように思います。ただ銀座や川崎・横浜と大きな街を通り過ぎるのでそれなりに風景が楽しめ見所も沢山ありました。でも日光街道の場合は少し勝手が違うようです。
スマホで近隣検索をしてみたら栗橋駅前に静御前のお墓が有ったので立ち寄りました。
鎌倉時代初期の人。京都の白拍子で源義経の愛妾。磯禅師の娘。文治1 (1185) 年兄頼朝と不和になり西国におもむく義経に従って,摂津大物浦から大和吉野山へと行をともにしたが,行く先を案じた義経が,京へ帰らせようと別れたところを捕えられ鎌倉に送られた。
引用:コトバンク
京都まで先日走ったから思うのですが、遙か昔に女性が京都から鎌倉、そしてこの地、栗橋まで旅を続けるなんて想像を絶します。
最初に開ける風景が見えたのは利根川でした。この日は残念ながら曇り空で、先日は遠くに見えた山間も見ることが出来ませんでした。
栗橋宿から北上して利根川を抜けて埼玉県を越えると茨城県でした。
北上すると茨城・・・。
茨城県の方には怒られてしまうかも知れませんが、埼玉の北は群馬か栃木かと思っていました。それだけじゃ無いんです!直ぐ側に千葉県もあるんです。
この辺り一帯は、千葉、埼玉、栃木、茨城、関東の四大勢力がにらみを利かせる順不同、空中無しの境界エリアだったのです。
面白いことに、この古河市は茨城県で唯一新幹線が走っているエリアで、東北本線の駅があります。江戸時代までは古河市以外の茨城県は常陸国でしたが、古河周辺は下総国だったのです。歴史的に深く掘り下げて調べて見ると面白いかもですね。
利根川を越えると中田宿です。見所なし!(ごめんなさい。。)もはや直進あるのみです。
日本橋から数えて9番目の宿街、古河宿へとやって来ました。ちょっと史跡っぽい感じのものが迎えてくれます。
松並木のある風景 日光街道
江戸時代 ここには松並木が整然と続き、数ある街道の中でも、もっとも美しい景観のひとつとして評されていました。
高低差のない平らなこの区間、松並木の間から見える白壁の古河城、そして富士山や筑波山、浅間山や男体山などは、多くの文化人や画家達の漢詩、紀行文、絵画に表現されています。
当時の松並木は、現在地よりも四〇〇メートルほど南を起点におよそ五キロメートルにわたって続いていましたが、今ではその風情を伝えるものは残されておりません。
失われた景観を惜しみ、その歴史が未来に語り継がれることを願い、ここに松の植樹を行いました。
平成十七年三月吉日
引用:日光街道街並み景観づくり推進協議会
かつての名所はすっかり綺麗に整備された道になってました。
しばらく走ると古河城御茶口門跡を発見しました。
門の名前の由来はこの辺りに、徳川将軍が日光産へ参拝する行事、日光社参の途中で休憩のために立ち寄った御茶屋があったのに由来していると言われています。
タイル状の道を伝ってどんどん進んでいくと、歴史博物館など古河城出城跡には様々な施設や史跡がありました。
蘭学者鷹見泉石の晩年の住まいだった鷹見泉石記念館は無料で入れる施設です。紅葉になりかけて庭がとても綺麗でした。
囲炉裏なども残されて当時の生活の様子がよくわかります。
日本家屋は風が吹き抜けるように作られているのが良いですね、部屋の向こう側が開けて見えます。
わらぶき屋根の建物。何故か落ち着きます、不思議ですね。
全く事前情報無いまま訪れた古河の街は、思っていた以上に見所があってすっかり時間が過ぎてしまいました。もっと見たい場所があったので、この街は是非再訪したいです。
観光客が迷わないようにでしょうか?古河城出城跡は石畳が続いていて、それだけでも風情があります。ちょっとした工夫で街の魅せ方って凄く変わるんですよね。
上の写真のお米屋さんは弁当販売もしていて、しかもイートイン出来るのでいただいてきました。
お味噌汁付きです!走ってる時って塩分少なくなるのでお味噌汁は凄くありがたいというか、おいしく感じます。体が欲しているものって自然にそう感じるんですかね?それとお米屋さんのお弁当なのでご飯が凄くおいしかったです。地元の農家のコシヒカリを使っていました。
古河の城下街は見所が沢山有りましたが、先を急がなくてはならないので後ろ髪を引かれる思いで街をあとにしました。
しばらく退屈な田舎の国道が続きます。野木宿、間々田宿、どちらも興味深い場所はありませんでした。
本陣も表札のような感じでした。この先の宿街跡も結構こういった感じで史跡を紹介していました。
小山市に突入!ここはもう栃木かな?
門外不出の文字が気になる、有形文化財の酒造。調べてみたらルーツは近江のようでした。明治時代にこの地に根付き今に至るようです。門外不出のお酒・・・、走っていなければ一杯いただきたい所でした、ごくり。
小山市街にやっと入ると直ぐに須賀神社参道が見えてきます。神社は遙か向こうですが、折角来たので寄ってみました。
須賀神社は1000年を越える由緒ある神社です。神話の世界が近畿・出雲・高千穂と西の多いですが、1000年以上も前から神社がこの地にもあるとは凄いなぁと思いました。
天慶(テンギョウ)の乱に際し、藤原秀郷公は日夜素盞嗚命(スサノオノミコト)に戦勝を祈願し、成就することが出来たので、天慶3年(940)4月、京都の祇園社(八坂神社)から、御分霊を勧請してまつったのが、当社の創祀であります。
引用:須賀神社ホームページ
はじめて小山市街に来ましたが、土曜日の日中なのに人があまり歩いないなぁと思いました。都市部と地方は週末の風景も違いますね。一つ一つが新鮮です。
旧日光街道を北上すると日枝神社の参道が見えてきますが、この野ざらしな感じが何とも言えず随分遠くまで走ってきたなぁと言う気持ちになります。写真のケヤキは樹齢400年以上で天然記念物に指定されています。
神社に相撲の土俵があるのを久しぶりに見ました。もともと相撲はスポーツや格闘技でも無ければ、国技でも無く、神様に供える祀りごとのひとつだったんですよね。
以前、外国人の方々と両国国技館に行ったのですが、力士が投げ飛ばした時にエキサイティングしていたのを思い出しました。押し出しはつまらないとも言ってましたが、相撲の神技から来た背景などを説明出来たらもっと海外の方に喜ばれるんだろうなぁと思いました。
近隣に6社ほど別の神社があると案内板に書いてあったので、日枝神社を出て探すと手前に縄のかかった神社跡のようなモノが・・・
これが厳島神社のようです。そしてその奥に見えるのが先ほどの大きなケヤキの木です。この信仰に対するざっくりとした感じが日本っぽくて面白いなぁ。
小山からひとつ先の小金井一里塚についた頃にはすっかり日が暮れてしまいました(><)
もう本当に思っているよりも暗くなるのが早くなってかなりあせりました。この小金井一里塚は日光街道では唯一の国指定史跡ですが、思ったより立派で何故かホッとしました。東海道には4つあって全てコンプリートしています。『山を越え、谷を越え、忍者の里にやってきた!』
で、すっかりこんな感じに夜になってしまって・・・夏だったらまだまだ明るかったのに。。
ああああぁぁああああ!
暗くて肌寒い中走ってると、なんでこんなことやってるんだろうなぁ〜ってちょっと素になります(笑
そして東京から105キロ。やっとこさ宇都宮の街の明かりが見えてきました!奥州街道と交わる日光街道最大の宿街宇都宮宿。次回を考えるとここまでは今日はどうしても来たかったのです。
『秋のジョグレポートは好奇心と時間配分のバランス感覚』いかがでしたか?はじめて訪れた古河の街は見所が多くてビックリしました。事前情報があればもっといろいろ回れたかも知れませんが、おそらく時間が無くなって宇都宮につくことは出来なかったと思います (><)
秋のジョグレポートは、いろいろ回ってみたいという好奇心と日暮れまでの時間の配分、このバランス感覚がとても重要だということに気がつきました。
次回は宇都宮から、いよいよ日光の杉並木を走ります。紅葉あるかな?ペース配分を気にしつつ楽しんできます。
宇都宮と言えばやっぱり餃子!浜松でも餃子を食べたから宇都宮でも是非と言うことで食べてきました。
このお店はいろんな種類が入ったセットがあって楽しめました。
人気店なのかな?通りに面した店舗は行列が出来ていたけど、裏通りにある2号店は直ぐに入れました。
いやぁ〜、餃子、ビールは最高ですね!
おはようございます!カルチャーキュレーターの永田です。 みなさん『不潔の歴史』と聞いてどんなことを思い浮かべますか...
ケイツー・インタラクティブの出来ること