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徳川家康を辿る
2015年09月18日 Life Style

江戸から京都へ、徳川家康ゆかりの地を辿って家康のことをまとめてみた

おはようございます。ジョグライターの永田です。

鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス
戦国の三大武将の性格を例えた有名な俳句ですが、詠み人はわかっていません。
東海道ジョグレポートもいよいよ静岡編から徳川家康を称えるゆかりの地が多くなり、どこまで走っても「徳川家康」「徳川家康」と家康三昧。最初はあまり気にならなかったのですが、走れば走るほどその影響力の大きさを肌で感じるようになり、ここら辺で一度まとめてみたいと思いました。

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徳川家康って何をした人?家康の功績

徳川家康は日本人なら知らない人はいないと断言してもいいでしょう!
1467年に始まった応仁の乱をきっかけに突入した戦国の世を治めて、江戸幕府を作った人ですよね。その後265年に続く長く安定した江戸時代の基盤を作りました。

「土地は全て耕作されることもなく、また耕作されていたところは種を蒔いたままで荒らされ、敵方や隣人によって強奪され、絶えず互いに殺しあった。日本全体は極度の貧窮と悲惨に陥った。商取引についても法も統治もなく、各自が勝手に殺したり罰したり、国外に追放したり財産を没収したりした。」

これはザビエルの次にやって来た宣教師ロドリゲスの著書(日本教会史)に書かれていました。

それからたったの100年後、1680年ごろ・・・

ドイツ人の長崎オランダ商館のケンペルの著書(のちに鎖国論として訳される)に次のようなことが書かれていました。

「この国の民は習俗、道徳、技芸、立ち振る舞いの点で世界のどの国にも立ち勝り、国内交易は繁盛し、肥沃な田畑に恵まれ、国内には不断の平和が続き、かくて世界でもまれに見るほどの幸福な国民である。」

(徳川宗家18代講演録より)

いかがですか?日本は戦国の極貧、最悪の国からたったの100年で世界にまれにみる平和な国、幸福な国民に変わってしまったのです。その基盤を作ったのが徳川家康です。

大インフラ整備事業

家康が行った功績の中で特筆すべきは大インフラ整備事業ではないでしょうか。東海道をはじめとした五街道の整備(4代将軍家綱の代まで続く)事業ですね。
箱根旧東海道の石畳
(箱根の石畳)

実際に走って見てきたからこそ、この功績のすごさが身にしみました。
海外でもチャレンジしてみようかな?とも思ったのですが、道路・水道事情を考えると少し難しい気がしました。徳川幕府の大インフラ事業は遙か昔のことですが、もしかしたら今の僕たちの生活にも大きく貢献してくれているのかも知れません。思いを巡らすと壮大ですね。

駿河城で徳川家康と最初のご対面

静岡駅から走って5分ほどの駿府公園、そこに徳川家康の銅像がありました。
駿河城の徳川家康像
この公園はもともと駿河城があった場所ですが、現在お城はほとんど姿を残していません。県庁もお城のお堀の中にあり、昔からの資源を大事に使っているなぁと感じました。徳川家康は秀忠に将軍職を譲り大御所になった後に駿河城に居城したとされています。

家康が江戸から駿河に移った理由として、以下のような様々な説があります。

  • 秀忠に将軍職を譲ったことを世に知らしめる
  • 幼年期に育った三河・尾張の地で晩年は過ごしたい(セカンドライフ的に)
  • 富士川、安倍川、浜名湖など要塞としての地形に優れている。
  • 参勤交代の大名が江戸へ行く途中で寄れるよう

出世のシンボル、浜松城

次に家康と再会したのは浜松城でした。
浜松城の徳川家康像
浜松城の家康像は若くして凜と勇ましい雰囲気でした。
徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。この間に家康は『三方ヶ原の合戦』で武田信玄に大敗をして命からがら浜松城に逃げ帰ったといわれています。そのときの戒めを忘れないために、疲れ切った自画像を絵師に書かせ家康は生涯傍らにこの絵を持っていたことはあまりに有名な話です。強者たる者も手痛い敗戦をし、その時の教訓を戒めにする。現代でも世界で大活躍している人に多いですよね。

家康が浜松城を出た後、城を任された城主の多くが幕府の要職に登用されたことから『出世城』とも呼ばれています。ご当地キャラ出世大名家康くんなる者もいました。

徳川家康が生まれた城、岡崎城

岡崎城の徳川家康像
岡崎城は家康が生まれた城です。
その後今川家の支城になりますが、桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると家康が岡崎城を取戻し、今川家から独立を果たします。

徳川家康と竹千代像
城内には竹千代と家康公二つの像が並びます。徳川家康は幼年期、そして青年期前半をここ岡崎の城で過ごしました。

また岡崎市はお寺が多いことでも有名で、『大樹寺』をはじめ徳川家康ゆかりのお寺も沢山あります。

今日のまとめ

徳川家康を巡る、いかがでしたでしょうか?
今年は徳川家康生誕400年ということもあり、静岡に入ってからはあちこちで家康をたたえる催しが行われていました。それが、すぐに終わってしまうのでなく、遠く愛知県は岡崎市までずっと続いているのには驚きました。未だに残るその影響力の強さを走ったからこそ肌身を持って感じることが出来ました。特にインフラですね。きれいで安全な道がずっと続いていることって、今でこそ日本では当たり前ですがこれは世界でもまれなのですよね。さらにはどこでも水道の水だって飲めてしまう。何百年も積み重ねてきたことが今の当たり前に繋がっているんですよね。

そして忘れてはいけないのが当時世界最大級の江戸の街を作ったことです。江戸のお話はまた別の機会にしようと思います。

次回のジョグランは尾張・三河編!!お楽しみに(^^)

編集後記

実は東京にも家康の像がありました!!
両国の江戸東京博物館の脇にあります。何故か亀と一緒なんですよね!?
両国の徳川家康像

江戸東京博物館では現在特別展で『徳川の城 〜天守と御殿〜』を開催しています。
江戸東京博物館『徳川の城』
平成27年8月4日(火)~9月27日(日)までの期間です。詳しくは下記にURLにて紹介いたします。

東海道ジョグレポートもいよいよ大詰め!東海道を制覇した後は大江戸編へと続いていきます。

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