文化・芸術・クリエイティブ実験室 / 上野・浅草 / WEB/IT/インバウンド
おはようございます。ジョグライターの永田です。
あっと言う間に奥州街道辺最終回!?この日は晴天にも恵まれて、気持ちよく白河宿を目指しました。
(走行日:2016年6月5日)
大田原に宿泊したこの日は朝から快晴、両日ともにジョギング日和となりました。
大田原からは意外とすぐに那須塩原市へ入ります。那須塩原は(かなり)以前はスキーでよく行くことがありましたが、まさかジョギングで来ることになるとは・・・
10キロ位走ったころに、もう街道ジョギングではお馴染の一里塚(鍋掛一里塚)。
一里塚からすぐに鍋掛宿に差し掛かります。
鍋掛宿と越堀宿は那珂川を挟んで向いあっていて橋を渡るとすぐに到着します。なんでこんな隣り合わせに宿町があるんだろう?っと不思議に思ったのですが、昔はこの昭明橋が架かっておらず難所だったようです。
・・・で、ここから岐路に立ちます。
前日宿泊した宿で知ったのですが、なんと!白河の関は奥州街道沿いには無いのです。白河の関は県道76号線(旧東山道)を行かなければなりません。しかし、やはり芭蕉と言えば白河の関、絶対一度は行っておいた方がいいと思い、急きょ予定を変更して旧東山道を走ることにしました。
そう、JOG TRIPはFreedom!!
で、道を変えてみると・・・
いきなり迷いそうな道に少し不安を覚える。
不安になりながら走るとふと義経の看板が目に入りました。
おぉ、源義経っ!!
ちょうど『ジパング 深蒼海流』という義経を扱ったマンガを読んでいたのでこの看板に嬉しくなりました。旧東山道は通称義経街道とも呼ばれていて、義経が平家討伐の際に奥州平泉から「いざ、鎌倉へ」向かった道なのだとか。
この看板はいたるところに立っていて、読んで進むのがとても楽しかったですが、東京に戻ってネットで調べて記事をまとめようと思ったのですが情報が見つからず。折角ここまで作ったんだからマッピングしたサイトがあったら絶対面白いのに・・・
そんな感じですが、ここから白河の関辺りまで義経がづっと続き、走っていてとても面白かったです。
そして、忘れちゃいけないのが弁慶さん。ちゃんと鉄下駄もセットで置いてるのでした。
弁慶下駄掛石
治承4年、義経一行が鎌倉に向かう途中、弁慶が道の傍らの大きな石を指さし、「那須山で修業した時、下駄に挟まった石を取ろうと蹴ったらここまで飛んできた」と話し、一同大笑いしたという伝説に基づいています。平成23年、自治会により復元されました。
引用:栃ナビ
義経街道はワイルドと田舎が程よくミックスされていてます。
で、お地蔵さんとかも野ざらしというか、何故山野斜面に??っと東海道や日光街道とはまた違う風景がとても新鮮でした。
かつて白河の関を越えると蝦夷地と呼ばれる別世界が広がっていたようですが、見ぬ風景に期待をしつつ先へと進んでいくとまたもや頼朝さんの跡がありました。
矢の根石伝
美野沢地区は、古代東山道(後世、義経街道とも関街道ともいう)の道筋にあたります。奥州平泉を発った義経一行が、兄頼朝のもとへ向かう途中、この地でのできごとが「追分明神」や「具足岩」をはじめ数多くの義経伝説として語り継がれています。
矢の根石もその一つで、弁慶が矢を取り出し、「わが願い吉ならば、この石に立てよ」と、傍らにあった岩に矢の根を指先にて押し込めば、あら不思議、矢が岩に突き刺さったではありませんか。先々の武運を占って、やをたてるというしぐさは、占いの一方法で「立つべからずところに立つ」奇跡によって、吉の占いを得ることにあります。・・・以下省略
引用:美野沢地区地域づくり委員会/看板
こうした一つ一つの物語をジョギングで紡いでいくのがとても面白いです。
具足岩・五両沢
夜が明けると、義経一行はすぐ追分明神をたちます。さわやかな初秋の朝の追分の山道は、谷川に沿った崖のふちを通っています。・・・中略・・・・すんだ谷川が流れています。山あいの沢々からしみでてくる水は、きれいで冷たく、手にすくって口にふくめばさっぱりとすがすがしい。「五両の金を出しても買うてきたい水だなア」などと、いう者もいるほどでした。
引用:美野沢地区地域づくり委員会/看板
そんな義経ストーリーを楽しく辿っていると、いよいよ山深くなって来ました。
この道は絶対に夕方以降は走れないなぁ~。早い時間で良かった。。
なんて思って進んでいくと
うわあぁぁああ!何あれ??
な、なんだあのドームは?宇宙と交信とか、なんかの宗教施設とか?
っとちょっとテンション上がった感を出してみたけど・・・、もう一年も経っているので、書いていてその時の気持ちになんか自分自身がすっかり置いていかれる始末・・・(笑
で、これなんだろう?と思って調べていたら、白河天体観測所という私営の天文台でした。で、さらに調べると・・・
な、なんと!!ここは「星になったチロ」の舞台だったんです!ご存知ですよね?え、知りませんか?チロの話。
やっとテンション上がって来た!
星になったチロ
星がすきだったチロは、満月の夜、星になった。天文台長やいん石捜索長となり大活躍した名犬チロと、星仲間たちと十二年間の友情物語
引用:ポプラ社
小さなころ好きでよく読んでいたのですが。。なんか、久しぶりにまた読みたくなりました。
昨年この施設を見かけた時に感じた何だろう?って感じた直感は、こんなところに繋がっていたのかと少し感慨深くなりました。これって潜在意識に刷り込まれていたのかも知れませんww
そんな感動的な出会いをサクっと通り過ぎたら、白河関の森公園の看板が見えてきました。目的地はもう少しだ。
公園に入ったけど関所らしいものが見つからない・・・
でもなんか楽しい!
このお家は、白河の直家造りの茅葺き民家をそのまま持ってきたようです。
で、肝心の白河の関跡は公園を出たところにありました。
ついにご対面・・・
なんだか少し寂しい場所かな、せっかくの史跡なのに・・・
白河神社
下野と陸奥の国境の関があった白河関跡を境内とし、関の明神、二所関明神とも呼ばれ、古墳時代の315年、白河国造・鹽伊乃自直命(しほいのこじのあたいのみこと)を祀ったのが始まりだと言われています。
治承4年(1180年・平安時代)は、源義経が兄・頼朝の挙兵を知り鎌倉に向かう道中に詣で、境内の松に矢を立て勝利を祈願したと伝わり、祈願をした「矢立の松」が、小さな根元のみの姿となって残っています。
引用:行って!見っぺ!!白河
この記事や芭蕉の句からもわかるように、ここから国境、この先には全然違う風景があるに違いない・・・。。ほのかな期待を寄せて先へ進む。
ここまで来たら後は下りなので楽ちんでした。
あとは白河宿を目指すだけだったのですが・・・
途中、南湖公園の看板を何度か見かけたのでちょっと寄ってみることに。
南湖公園は庭園の様なとてもきれいな公園。
南湖神社
南湖公園は調べてみると日本最古の公園だったようです。
東海道と比べて奥州街道は、全体的に地味ですが何か深みの様なものを所々に感じます。
っで、芭蕉が俳句に残したように、この公園を越えたら、うわぁっと別世界が広がっている・・・
そんなはずも無く、普通に日本が続いていましたww
奥州街道最後の宿町、白河宿も眼下に見えました。
よ~く見ると先の方にお城が見えました!!よし、奥州街道のゴールは白河宿を越えてあのお城まで行ってみよう!
途中、白河宿のほんのり場末感薫スナック街を走り抜ける。
本陣跡は看板のみでした。
白河宿は、町がおもしろいなぁと思いました。心なしか道が入り組んでいて、段が無駄に多いのです。遊び心なのかなんなのでしょうか?きっと理由があるはずなので、調べたてみます。わかったら、この記事に追記しようと思います。
白河宿から離れてJRを挟んだ向かいにある、先ほど見かけたお城に着きました。
ここは、小峰城でした・・・
僕は熊本の地震の後に、テレビで見て小峰城のことも知りました。
崩れた石垣も本当に同じ場所に戻さなければ修復したことにならないようで、本当に作業としてとても大変なんだなぁと思います。
平成29年1月31日現在も修復中のようです。
本丸の方は修復されていて、きれいで風格のある姿を見ることが出来ました。
折角なので中にも入れてもらったのですが、階段がとても急で少し怖かったです。
奥州街道の前半は正直あまり面白くなかったのですが、大田原より先はかなりいろいろなものが詰まっていて濃かったです。
義経街道にはストーリがあり、星になったチロに遭遇し、そして白河の関を越えて見た風景・・・
地震で壊れたお城があり、そこにボランティアでしょうか?とても親切にお城を案内してくれる方たちがいました。彼らは本当に小峰城が好きなんだなぁと伝わって来て、その雰囲気がまた心地いいと思いました。
JOG TORIPでは毎度のことながらですが、文化財を守ること、活かすことの大切さを学びます。奥州編はこれにて終わりますが、まだまだ甲州街道編もありますからね!乞うご期待。
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